新説・日本書紀② 福永晋三と往く
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2018年(平成30年)2月3日 土曜日
書紀の神々の系譜は恐ろしいくらい複雑だ。本文で初代神武天皇につながる神の系譜と同時に、一書群で異なる説話(系譜)を記す。これこそ古事記序文にある「諸家の賷てる帝紀」の反映だろう。本来、神代の神々は「王」で、諸家とあるように「倭人は山島に依りて居を為し、およそ百余国あり、国ごとに皆王と称し」(後漢書)たらしい。日中の史書から推測すると、彼らは「古遠賀湾の島と沿岸の山」に居をなしたようだ。 天孫降臨は豊国侵略説話
天孫降臨は瓊瓊杵尊一代限りの事業ではなく、何代にもわたり繰り返された「豊葦原水穂国への侵略」の歴史だった。古代の筑豊は、遠賀川式土器に代表されるように水穂の国だ。山には木の実が実り、鹿や猪の鳥獣があふれ、北に玄界灘、東に周防灘、内に古遠賀湾と、魚やクジラの豊かな海もあった。筑豊の多数の縄文~弥生の貝塚遺跡が証明する。 近年提唱された「森と水の循環系を守った持続型の稲作漁労文明」が、確かに古代筑豊に栄えていた。そこに何度も王権交代が起きた。それこそが日本書紀の神代の歴史事実だろう。書紀神代の説話は、断じて、ギリシャ神話などのいわゆる「神話」ではない。わが国の「神」は生きている間は「人」だった。日本書紀はもともと「史書」だ。書紀の神々は、結局、稲作の始まった弥生時代の「筑豊百余国の王たち」なのだ。 次回は2月7日に掲載予定です
古遠賀湾などを再現した古代倭国地図(福永氏作成)
王年代記に記された二十三世の王(神)